昭和54年4月に豊科郷土博物館として開館して以来、郷土の文化を伝える活動を行ってきました。開館2年目に創られた友の会を核とした活動も、現在まで活発に続いています。平成17年10月に安曇野市が誕生してからは、指定管理のもと市で唯一の総合博物館として活動してきました。平成24年4月には市直営の施設に、平成26年3月にはリニューアルオープンを果たし、現在まで地域の文化を発信する活動を続けています。
満願寺は江戸時代の国絵図や藩領図に大きく描かれ、安曇野を代表する寺院でした。安曇地方唯一の信濃三十三番札所として多くの参拝者で賑わいをみせていました。企画展では、近世から明治・大正時代に描かれた絵図から、満願寺はどのような存在であったかを解説し、そこに登場する「死出ノ山」とその世界を読み解いていきました。
また植生調査によって、死出ノ山であった山腹は人為的な影響の少ない植生であることがわかりました。現代の植生や絵地図や古文書などの資料から過去の植生にも迫りました。
人は自分の住んでいる世界とは異なる世界にあこがれ、その世界を訪れてみたいと考えます。もちろん実際にはやむにやまれぬ理由によって旅に出ることもあります。どんな理由の旅にせよ旅に出ることによって世界は広がります。異文化に触れる機会もできます。
宇宙旅行も可能になった今、展示では旅によって広がる世界に着目し、人は異文化に接したとき、何を感じ何を得るのかを感じてみたいと思います。何よりも安曇野の子どもたちが世界へと目を向けるきっかけにしたいと考え、展示しました。
家蚕も天蚕も、一時期安曇野市域の代表的な生産品として名を馳せましたが、第二次世界大戦前後から現在にかけて、どちらも衰退の一途をたどっています。安曇野の地域を支えた一大産業であった養蚕に焦点をあて、その歴史と役割を再検討する展示としました。
明科廃寺は、7世紀後半とされる素弁八葉蓮華文瓦が出土し、信濃国でも最も古い寺院の一つとされてきました。2018年の第5次調査で多量の瓦が出土し、安曇野市民の皆さんばかりではなく、多くの研究者から注目を集めました。そこで、関心が高まっている明科廃寺ができあがった時代の、明科地域、さらに安曇野の市域の状況を、発掘の成果から見る展示としました。
安曇野には民家の敷地内に人為的につくられた樹林が数多く見られ、これらは屋敷林と呼ばれています。屋敷林は時には樹高20m以上に及ぶ樹林を形成し、平地に点在、あるいは集落にまとまって存在し、北アルプスを背景に独特の景観をつくりだしています。安曇野の屋敷林からひもとく自然と暮らしを紹介しました。
明治政府が天皇中心の中央集権国家を目指した明治維新。政府が国土の隅々まで把握することを目的に、村の状況を記した地誌や絵地図を、村から提出させました。明治初年の村の様子を克明に描いた絵地図の控えは長野県に残されており、現在の安曇野市に続く16村を展示しました。
人は死を免れることができません。しかし、現代社会では死に触れる機会も、死について考える機会もあまりありません。この展覧会では昭和30年代に安曇野で行われていた葬式を紹介し、葬式について考える機会としました。
安曇野周辺に生息する野鳥と植物に焦点をあてて、その関係をひもといていきます。そこには「食べる」「食べられる」というつながりから広がった、お互いを支える巧みな工夫があるのです。
巡回展では主に平成27年度に調査や報告書を刊行した13の遺跡についての展示をしました。その協賛展示では、市内の遺跡である北村遺跡から出土した「縄文人骨」や土偶などの出土遺物から、縄文時代の実際を紹介しました。
安曇野で生きる人々の一生のうち、子どもが無事に生まれて育ち、一人前になるまでに行われる行事や儀礼についての展示をしました。
安曇野に初めて白鳥が飛来して以来、毎年行われている公募の写真展です。暖冬の影響で白鳥の飛来数が少なかったものの、ほぼ例年通りの応募数がありました。
平成26年度刊行の「安曇野市版レッドデータブック」をもとに、安曇野で数を減らしている動植物のうち、春の山里・草原に棲む昆虫を中心に紹介しました。
速報「長野県の遺跡発掘2015」は、長野県内で平成26年度を中心に発掘調査や報告書が刊行された遺跡についての展示です。県内の市町村施設として初めての展示が行われました。巡回展に合わせた協賛展示では、松本平におけるいのりやまつりに関連する銅鐸や土器などの考古資料約30点を展示しました。
展覧会にあわせて発行される、博物館編集の小冊子です。展覧会の様子を詳細に紹介しておりますのであわせてご覧ください。
博物館が行った活動を年度ごとにまとめています。