魏石岩窟
そこを根城にした八面大王という大鬼が手下とともにすんでいました。
神出鬼没の魔力をもち、雲を起こしたり霧を降らしたり、天地を飛行したりすることもできました。
村里に出ては盗みや乱暴を働いてました。
延暦10(791)年、坂上田村麻呂という都の将軍が信濃にやってきて、鬼退治の祈願をいたしました。
松本の筑摩八幡の神様が夢枕に立ち
「甲子の年・月、子の刻生まれの男の子が、山鳥の三十三節の尾羽で作った矢を用いてみよ。鬼の魔力も通じないであろう」
と告げました。
矢村の矢助がちょうどその条件に当てはまります。
しかも、矢助の妻が「三十三節の山鳥の尾をもってまいりしょう」と、その尾で作った矢を坂上田村麻呂に献上しまた。
そして、ついに八面大王を打取とることができました。
(『安曇野の伝説』より、要約。詳しくは図書館で『安曇野の伝説』 教育委員会発行 2018年2月 を読ください。また、八面大王に関係した地名があちこに残のこっています。御宝田、塔の原、立足、耳塚などがあります。それぞの地名のいわれも調べてみてください)
こうした話を知ることによって、海の底にあったといわれる生痕化石一つから、現在の安曇野へと、次から想像ははてしなくふくらみます。