安曇野市豊科郷土博物館

安曇野をめぐる水と私たちのくらし

水は、私たちのくらしにとって欠かせないものです。
郷土の昔の人たちは、水をどうやって手に入れて、どうやって生活に利用していたんだろう?
そんなことを思いながら、昔の人たちが生活や農業などに使った道具を展示してみました。

1階の見取り図

水による災害 稲穂ゆれるふるさとへ 里山の利用 一滴から始まる安曇野の水 私たちが使う水 水にかかわるくらしの道具 とぼしい水を利用して 安曇野に導かれる水 豊かな水を利用して 安曇野の水 現在から未来へ インフォメーションコーナー 安曇野の水に出会う 体験コーナー 水遊びを体験しよう エントランスホール 安曇野ってこんなところ
エントランス

エントランスホール 安曇野ってこんなところ

博物館の展示はもうここからはじまっています。タペストリー「安曇野の宝」では、安曇野市のみどころを写真で展示。太古の昔、安曇野の海に生きていた生物の化石もみられますよ。

生痕化石(せいこんかせき)

生痕化石(せいこんかせき)

大口沢(おおくちざわ)地籍で発見された生痕化石。動物が這(は)った跡や、エビやカニなどの仲間の甲殻類(こうかくるい)の巣穴の跡などがはっきりと見られます。今から1300万年前、安曇野が海の底だった時代の生き物たちが生きた痕跡をレプリカにしました。


水にかかわるくらしの道具

1 水にかかわるくらしの道具

電気も水道もなかった時代と、便利になった現代。くらしの道具はどうかわったのかな?古い家を再現した8畳間に、昔の洗濯板から現在の全自動洗濯機までところせましとならんでいます。

噴流式電気洗濯機(手回し洗濯機)

噴流式電気洗濯機(手回し洗濯機)

昭和30年代、電動で洗濯ができる機械が登場します。脱水はゴムのローラーに洗濯物をはさみ、ローラーの取っ手を回して絞りました。ボタンのある服を絞る時はつぶさないように注意が必要でした。


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2 私たちが使う水

水道が引かれるようになるまで、どうやって水を手に入れていたんだろう?
安曇野では漉し井戸(こしいど)という井戸も使われていました。

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漉し井戸

かつて、小さな堰のそばに漉し井戸がよく見かけられました。コンクリート製のU字溝がまだなかった時代、地下にしみ込んだ堰の水を再び地表に浸(し)み出させて生活用水に使ったのです。
井戸の底には小石や砂、炭などを何層かに敷きつめて、水をろ過してゴミなどを取り除きます。漉し井戸のきれいな水は、飲み水にも使われました。


一滴から始まる安曇野の水

3 一滴から始まる安曇野の水

水の流れとともに安曇野をめぐってみよう!地面から湧き出す水。小さな沢の流れ。水の始まりにかけられた人々の願いに触れます。

倉田堰(くらたせぎ)水神旧祠(きゅうし)

倉田堰(くらたせぎ)水神旧祠(きゅうし)

堀金地区を流れる倉田堰は、江戸時代後期の文化8年(1811)に倉田新切村の人たちによって開削されました。それまで畑ばかりだった倉田にも、その後約10年間で5町歩(約5ヘクタール)の水田が切り開かれました。この祠(ほこら)は、村を豊かにしてくれる堰の水の神様をおまつりしたものです。


里山の利用

4 里山の利用

水の少ない山間部。そこに住む人たちはどうやってくらしていたんだろう?かつては安曇野でも養蚕がさかんでした。あまり知られてい
ませんが、タバコも栽培していたんですよ。

タバコの栽培道具

タバコの栽培道具

江戸時代、明科地域の山間部ではタバコの葉の栽培がさかんでした。現在、タバコを栽培している農家はわずかになりましたが、お米のとれないこの地域で、貴重な現金収入となっていたのです。
ここで展示しているのは、タバコの葉を刻む包丁と、その当木(あてぎ)で、明治時代ころに使われていたものです。春に植えたタバコの苗を夏の終わりに収穫し、乾燥させてからタバコ包丁で刻んで出荷しました。


とぼしい水を利用して

5 とぼしい水を利用して

水は少なくても、畑はできる。豊かな畑を作ろうと、道具も工夫を重ねていきました。簡単なつくりの農具から、効率の良い農機具へ。
道具の変化も感じてみてください。

ニチリン号播種機(はんしゅき)

ニチリン号播種機(はんしゅき)

鍬(くわ)や鋤(すき)などの農具を使っていた農作業も、昭和40年代には農業機械の普及によりその姿を変えてきます。ニチリン号播種機やコンベヤー土入れ機などは、農業の機械化の過渡期に製造された手動機械です。


安曇野に導かれる水

6 安曇野に導かれる水

平地だからといって必ずしも水が豊かではなかった安曇野。安曇平に水をくまなく行きわたらせるために、堰(せぎ)という用水路をつく
って水田を広げました。拾ヶ堰(じっかせぎ)をはじめ、網の目のようにはりめぐらされた大小の堰は、まるで大地に生命力を与える血管
のようです。

十ヶ堰絵図(じっかせきえず)

十ヶ堰絵図(じっかせきえず)

文化13年(1816)に開削され、安曇野の10の村々を潤した拾ヶ堰(じっかせぎ)。わずか3ヶ月間で工事が済んだ背景には、長期間にわたる綿密な計画がありました。最初に計画したときに描かれた堰の絵図を展示しています。


稲穂ゆれるふるさとへ

7 稲穂ゆれるふるさとへ

先人たちが苦労して引いてくれた堰のおかげで安曇野は見わたすかぎり水田が広がるようになりました。苦しいなかでも、力強く稲作にたずさわる人々の写真や、安曇野で使われた稲作の道具がたくさんならんでいます。

近藤翠嵐(すいらん)「俳画屏風(はいがびょうぶ)」

近藤翠嵐(すいらん)「俳画屏風(はいがびょうぶ)」

明治時代、現在の大町市に住んでいた神職・近藤翠嵐が描いた農作業の様子です。田起こしから収穫まで、当時の稲作の手順が、ほのぼのとした画風で描きこまれ、見ていて楽しくなってくる屏風です。


水による災害

8 水による災害

水は時に、私たちに牙をむきます。暴れる水の前に何もできなかったこともありました。水害が残した傷跡を展示します。

三角原遺跡(さんかくばらいせき)出土遺物

三角原遺跡(さんかくばらいせき)出土遺物

三郷地域の西部は、西山から流れ下る黒沢川などが、長年にわたって土砂を運び、扇状地(せんじょうち)を形作っていました。住吉神社の近くにある三角原遺跡は、その扇状地の末端、扇端(せんたん)に位置します。ここには平安時代、集落がありました。当時使われていた鎌や砥石(といし)、甕(かめ)なども発掘されており、水の恵みを受けて人々が生活していたことが感じ取れます。しかし集落がなくなったあと、洪水で住居跡などが流されたようで、水が流れた跡がみられます。水は恵みをもたらす一方で、時として牙をむく怖い存在でもありました。


豊かな水を利用して

9 豊かな水を利用して

安曇野の低い土地に集まった豊かな水は、さまざまな贈り物をもたらしました。鮭やカジカなどの豊富な魚たち、ワサビが栽培できる清らかな水。未来に伝えたい水の豊かな環境です。

ワサビ栽培に使う道具

ワサビ栽培に使う道具

現在、安曇野の湧水地帯で行われているワサビ栽培は、明治時代に始まったといわれています。大正時代、ワサビ畑がさかんに開発されましたが、まだゴム長靴が貴重品だった当時、稲作が終わったあとの寒い時季に冷たい水に入るのは苦労だったようです。展示室では、ワサビの苗を植える時に使われていた移植ごてや石づくりこて、畑にたまったゴミや落ち葉を取り除く熊手などの道具を展示しています。


安曇野の水 現在から未来へ

10 安曇野の水 現在から未来へ

安曇野はこれからどこへ行こうとしているのでしょうか?先人から受け継いだ豊かな安曇野を、私たちはどのようにして未来に伝えていけばよいのでしょうか?安曇野市内のみなさんが行っている取り組みの一部を紹介します。


インフォメーションコーナー

11 インフォメーションコーナー

みなさん。豊科郷土博物館の展示は、ほんの入り口にすぎません。本当は安曇野全部が博物館なのです。インフォメーションコーナーでみつけた「みどころシート」を手にとって、安曇野大冒険の旅に出発しましょう!


体験コーナー 水遊びを体験しよう

12 体験コーナー 水遊びを体験しよう

博物館の展示をみたあとは、昔懐かしい水のおもちゃで遊びましょう。笹舟や水鉄砲、水車など、子どもさんはもちろん、大人の方も、博物館で楽しい思い出づくりをどうぞ。